B厚狭地区の特徴と歴史
@ 厚狭駅前商店会は千町3区、4区、5区で商売を営まれている27会員の商店主で構成されている
A JR厚狭駅前通りに位置しJR在来線で下関駅まで30分、宇部駅まで15分、美祢駅まで30分と便利がよく鉄道の中継地として栄えてきた。また平成11年3月には厚狭新幹線駅も完成し、東京まで5時間30分、博多まで45分で行くことが出来、立地条件は良好である。
B 国道2号線沿いにあり下関駅まで32`、宇部中心地まで20キロ、美祢市役所まで15キロと道路事情も大変恵まれている。
C 高速道路利用についても小野田インターまで5分、埴生インターまで10分と近く居住地域として非常に便利な処に位置している。
D 平成20年3月には厚狭バイパスが完成予定であり生活の面での良好な環境は整いつつある。
E 山陽小野田市の総合計画基本構想ではJR厚狭周辺を都市核と位置付け、既存市街地の整備や商店街の再生等による地域生活拠点機能の充実を図り、個性ある生活拠点の形成を目指すこととなっている。
F 10分以内(車)に6つのゴルフ場が存在する。
H11年3月13日開通厚狭新幹線駅 |
観光案内 |
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明治34年開通厚狭駅在来線 |
昭和46年に建立された寝太郎像 |
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厚狭寝太郎の昔話
昔々厚狭の里に毎日寝てばかりいる庄屋の息子がおりました。
三年と三月を寝て暮らしたある日、父親に船をつくらせわらじを積んで佐渡へ船出しました。
金山で働く人たちの古わらじと交換して砂金を持ち出し、泥んこですり切れたわらじを村人たちに桶で洗い落させました。すると桶の底に金の砂が光っていました。
そして砂金を元に干害用水路を作り、荒地の原野を水田に変え、村の百姓に分け与えたのでした。
のちに「寝太郎さま」と親しみ呼ばれ長生きしたそうです。
現在、厚狭の街中を流れる厚狭川の上流には寝太郎が集めた金で堰を作り、開催され荒地を開墾したとも言われている。現在では、毎年4月29日に寝太郎まつりが開催され、厚狭駅前には寝太郎の銅像が建立されている。
千石船の公園 中央には大きな木造の船のモニュメントがあり、ねたろう君がマストの上で行き先を指さしています。周囲は波形のブロック、車止め等も趣向がこらしてあります。 |
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わらじ公園 わらじの型をした朱塗りのシェルターや入口にわらじをあしらったトイレ、健康を保つために「わらじの小道」というあしの健康法を取り入れた施設もあります。車止め、遊具等がわらじを型どったものばかりで出来ています。 |
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桶の公園 桶の型をしたアスレチック遊具を中心に東屋、桶のトイレ、桶を型どった車止めやベンチ等があります。 |
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砂金の公園 桜30本を植えた芝生の公園です。花見等にも使用できます。砂金のイメージカラー舗装と、フェンスにはねたろう君とつつじの花が描かれ、散歩も楽しくなります。 |
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寝太郎堰 灌漑を成し遂げ、村から旱害を救ったと言われている寝太郎堰 平成18年2月22日疎水百選認定 |
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寝太郎荒神社 千町ヶ原のほぼ中央にあり、その開拓者=寝太郎を祭神として祀っている。昔、この一帯は葦の繁った沼地であった。この沼地がいつの頃、誰の力によって厚狭川をせきとめ、水門と水路をつくり千町ヶ原に灌漑用水路を引き、すばらしい美田に変えた。これは天保12年(1841)の風土注進案にある話である。この物語が幾多の創作まで織りこまれて一つの伝説が深くこの地に根をおろした。それが寝太郎物語である。 |
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疏水百選ウォーキングコースの紹介 |
荒地であった厚狭の「千町ヶ原」を、みずみずしい水田に変えるなどして、村おこしを成し遂げたと伝えられる厚狭の寝太郎。厚狭駅周辺や厚狭川河畔には、寝太郎にゆかりの公園や遺跡があちらこちらにあります。 |
距離約5.3km歩行時間約2時間 コースは@沓古墳公園−(8分)→A寝太郎堰頭首工−(12分)→B寝太郎用水東西分水工−(15分)→C桶の公園−(7分)→D厚狭天満宮−(1分)→E旧山陽道−(6分)→F寝太郎堰碑(厚狭公民館)−(3分)→G寝太郎銅像−(9分)→H寝太郎荒神社−(3分)→I厚狭駅(新幹線口)です。 |
交通 往路=船鉄バス印行バス停より徒歩3分 復路=山陽新幹線 問い合わせ 山口県農村整備課 083-933-3423 詳しい情報は |
ゆめ広場の石畳に埋め込まれている寝太郎君の絵
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水辺に下りる階段 |
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寝太郎にちなんだ特産品
清酒原料米が原料の 「米焼酎寝太郎」 |
百年近い伝統を持つ「寝太郎餅」 |
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餅を紫蘇で包んだ 「ごろり寝太郎さん」 |
地元の果実を使用して作ったジャム |
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地元特産の原料と減塩造り |
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